「ジュリアス教頭も、朝礼であんなに長く話すことはないじゃない?
ルヴァ先生も話し長すぎ!!」
月曜日の朝の朝礼の名物”ジュリアス教頭のお説教”が、いつもより長引き、それに輪をかけて、学年主任のルヴァ先生が、のらりくらりと話し続けたのだ。
その結果が、生徒約一名が貧血により朝礼を退席となった。
レイチェルは、長話の犠牲者となったアンジェリークの体を支えながら、保健室へと向かう。
内心では、あの長い朝礼を抜けることが出来て、レイチェルはホッとしていた。
「アンジェ、大丈夫?」
「…ん…、何とか…」
アンジェリークは頭がクラクラして、体もフラフラし、足を縺れさせながら、歩いている状態だった。
ようやく二人は保健室に辿り着いたが、保険医のオスカーも生憎、朝礼に出ていて留守なのだ。
「アンジェ、とにかく、オスカー先生が来るまではここでじっと寝てなよ?」
レイチェルは、とりあえず奥にあるベット室のカーテンを開け、その上にアンジェリークを寝かしつける。
「また、様子見に来るから、おとなしくしてるのよ。オスカー先生にも伝えておくから」
「…うん…、ありがと、レイチェル」
力なく微笑んだ後、アンジェリークはゆっくりと目を閉じた。
「さてと、私も朝礼に戻るか」
レイチェルがドアを閉める音と同時に、アンジェリークはうつらうつらと夢の世界に突入していった。
「おい、クサレ校医はいるか?」
銀の髪をした背の高い男が、乱雑に保健室のドアを開け、入ってくる。至極面倒くさそうに。
「ったく、赴任前に学校を案内するからこの時間に保健室に来いと大見得切ったのは誰だよ?」
銀糸の髪をかきあげながら、男は、きょろきょろと苛立たしげに、保健室の主を探す。
端正な顔は、僅かに顰められている。
「どーせ、ベットで居眠りでもしてるんじゃねーか?」
男は、そこに誰かが寝ているなどと考えず、カーテンを開けてベット室に入ってゆく。
人の気配を感じて、彼はベットを見た。
「おい…、いるならいると返事…、…!!」
男は、その瞬間、息を飲む。
ベットの中には、青白い顔をした、栗色の少女が眠っていた。
あどけなさの中に、どこか凛としているところがある、優しい寝顔だった。
長い睫が小刻みに動き、蕾のような唇が僅かに動いている。
可愛らしく、食べてしまいたくなるような、そんな寝顔だった。
彼の全身に電流が走り、心の中に少女が何の躊躇いもなく入ってくる。
彼は息が出来なかった。
少女の愛らしい寝顔に釘付けになり、微動だに出来ない。
----なんて愛らしい、なんて可愛らしい・・・。
無意識に、男は少女に手を伸ばそうとした。
少女の瞼がゆっくり動き、彼ははっとして手を引っ込める。
少女の瞳がゆっくりと開かれ、夢見るようなブルーグリーンの瞳が彼を捉えた。
天使…!
少女は、完全に男の心の奥深くまで入り込み、誰よりも美しい場所に入り込んでしまった。
少女に見惚れてしまい、彼は視線を逸らすことが出来ない。
彼女も、最初はうっとりするように男を見ていた。
「あ…、きゃあ!!」
次に聞こえたのは彼女の悲鳴。
寝ぼけていた頭がようやく元に戻って、置かれた現実に声を上げたのだ。
確かにここは女子高の保健室のベット。
見知らぬ男がそこにいて、寝ている自分を見ていたら、これはもう”変質者”と考えるのが普通だ。
「もう!! ヘンタイ!! あっちへ行って!!」
少女は、身の回りに逢った唯一の凶器”枕”を、アリオスに投げつける。
「おい!! 誤解だ」
枕をよけて、男は必死に弁解する。
「おい、何があったんだ!! お嬢ちゃん!」
丁度保健室に戻ってきた、無敵の保険医オスカーが、ベット室に続くカーテンを素早く開けた。
「オスカー!!」
「オスカー先生!!」
二人に同時に呼ばれて、オスカーは訳がわからずきょとんとした。
「アリオス、それにコレットのお嬢ちゃん、二人して何してるんだ? 枕投げ大会か?」
「オスカー、ここにこの時間に来いと言ったのはおまえのくせに、おまえがいなかったから、ベットで寝くさってるのかと思ってよ、ここに来たら、目覚めたお姫様に枕を投げられた」
アリオスと呼ばれた銀の髪の男は、いかにも自分が被害者といわんばかりに語ったが、本当は、少女の寝顔に見惚れていたなどとは、到底言えなかった。
「…わたしったら早とちりしてなんてことを…」
栗色の髪をした少女はそれこそ全身を真っ赤にさせ、ばつが悪そうに、恥ずかしそうにすっかり俯いてしまった。
その姿の可愛さの余り、アリオスの潔癖そうな唇に笑みが零れ落ちる。
「クッ、気にしちゃいねーよ。あんな状況だ、誰だってああなるだろうよ」
「よかった!! 有難うございます!!」
胸を撫で下ろしホッと息をついた後、少女は花のような笑顔を、、嬉しそうにアリオスに向けた。
その眩しい笑顔に、アリオスは完全にやられてしまった。
最早、彼女の微笑を見つめることしか出来ない。
少女も、アリオスの顔をまじまじと見詰めてみる。
精悍で、整った貌だちで、これならどんな女性も一溜りもないだろうと、彼女は思う。
だが、目を惹いたのはやはり、金と翡翠の左右の色が違う、不思議な瞳だった。
こんなかっこいい男性(ひと)にあんなこと言っちゃった〜!!!
「で、お嬢ちゃん、貧血の方はどうなんだ?」
オスカーに言われて、彼女は、ようやく自分が貧血でここで寝ていたことを思い出す。
「もう、いいみたいです」
「クッ、だろーな。枕を投げる元気があればな?」
アリオスのからかう言葉に、少女ははにかんでしまう。
この笑顔を俺だけのものに、出来ねーだろうか…。
「あ、私、教室に戻ります。授業もあるし…」
「ああ。そうしたほうがいい」
「はい」
皺になった制服のスカートをせっせと直しながら、少女はベットから降りると、カーテンを開けて、治療室に出る。
その後を追うように、アリオスとオスカーも続く。
「じゃあ、教室に戻ります」
「気をつけてな」
「はい」
オスカーに挨拶を一通りした後、少女は恥ずかしそうにちらりとアリオスを見た。
「あの…、どうもすみませんでした!!」
少女は改めて彼に深々と一礼すると、逃げるように保健室を後にする。
「あ、おいっ!!」
アリオスが引き止めるのも聞かず、少女はパタパタと保健室から出て行った。
全く、風のように忙しい少女だ。
暫くは、少女の足音が聞こえたが。やがて一旦、何かに躓いたよな音と共に消え、再び足音がし出して、やがて消えた。
足音すらも、少女は、アリオスを魅了して止まない。
決めた!! 俺は絶対彼女を手に入れる! その後は絶対離さねえ!
「惚れたか? あの子に」
保健室のドアから目を逸らさないアリオスに、オスカーは苦笑しながら声をかける。
「そんなんじゃねーよ。ただ、おもしれーヤツだと」
「まあ、確かに面白い生徒だがな」
フッと深い微笑をアリオスに向け、オスカーは探るように呟く。
「どこの生徒だ?」
「どうせ絶対逢えるぜ。2Bの生徒だからな」
「2B!!」
無意識にアリオスの表情が綻び、オスカーはそれを見逃さない。
彼は神に感謝する。
「名前はアンジェリーク・コレット。クラス委員だ。バレないように上手くやれよ?」
「バーカ。そんなんじゃねーよ」
さりげなく否定はしたが、彼は心の底でオスカーにバレていることぐらいは判っていた。
-----アンジェリーク・・・。天使か・・・。ぴったりな名前じゃねーか
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「ね〜、アンジェ、とうとううちのクラスにも、正式な担任の先生がやってくるんだよ〜」
「それホント? レイチェル」
クラス委員らしく、レイチェルの早耳は大したものだと、アンジェリークはいつもながらに感心する。
元々彼女たちのクラスには、”カティス”という担任がいたのだが、実家のワイナリーを突然継がなければならなくなり、退職を余儀なくされた。
そのため、彼女たち2年B組の生徒たちは、学年途中で、担任がいなくなるという不測の事態となっていたのだ。
「今日のホームルームの時間に挨拶に来て下さるって!! 何でも若い男の先生らしいよ〜」
”若い男の先生”----
そう聞いて、アンジェリークは、一瞬、どきりとする。
ひょっとしたら、と、思う。
銀の髪をしたあの素敵な青年の顔を思い浮かべてしまい、心臓は早鐘になる。
「こら、そなたたち、静かにせぬか」
チャイムと共に黄金の髪を輝かせたジュリアス教頭が、背の高い銀の髪をして青年と一緒に入ってくる。
アンジェリークは、大きな瞳を更に大きく見開いて、息を飲んだ。
やはり、予想どうりだった。
豊かな均整の取れた肢体、柔らかな銀糸の髪。
そして少し厭世的な雰囲気を持つ完成された美貌。
意地悪っぽく輝く不思議な瞳も完璧だ。
誰もが青年のカッコよさに、暫し見惚れる。
アリオスは、アリオスで、教室を見回し、一人の少女を捕らえる。
すっかり魅了されてしまった天使。
大人しそうにイスにちょこんと腰掛けている。
ふいに、アリオスと目が逢い、慌ててアンジェリークは、はにかむように目を逸らす。
そんな表情ひとつ取ってみても、なんと愛らしい生徒なのかとアリオスは思う。
「クラス委員! 号令!」
「はい!!」
流石のレイチェルもアリオスに見惚れていた。
ジュリアスに声を掛けられて、彼女は慌てて号令をする。
「起立!! 礼!!」
着席の後、ジュリアスはゆっくりと頷いた。
「明日からそなたたちのクラスの担任を受け持ってもらう、アリオス先生を紹介する。担当教科も、カティス先生と同じ英語だ。では、私はこれで。アリオス先生、挨拶と、ショートホームルームを頼んだ」
「はい」
何かと忙しいジュリアス教頭が教室から出て行った後、アリオスは教壇に立ち、生徒全員を見渡した。
しかし彼の中心は、やはりアンジェリークだ。
「アリオスだ。担当教科は英語だ。おまえたちも、途中で担任が代わって大変だろうが、まあ、約1年間、よろしくな」
生徒たちは、すっかりアリオスの雰囲気に飲まれてしまい、うっとりと彼だけを見つめている。
「このクラスの委員と副委員は誰だ?」
知ってはいたが、アンジェリークの可憐な手を上げる表情が見たくて、わざと言う。
「はい、ワタシがクラス委員で、隣のコが副委員です」
レイチェルは立ち上がっててきぱきと答えると、横にいるアンジェリークを指差した。
「副委員のアンジェリーク・コレットです」
おずおずと立ち上がりながら、穏やかな笑顔をアリオスに向ける。
もちろん彼女は、アリオスが彼女に”一目惚れ”してしまったことを知らない。
「じゃあ。二人とも、クラスのことについて、放課後、俺に教えてくれねえか?」
「あ、ワタシはクラブで抜けれないんですけど、アンジェリークひとりでもかまいませんか?」
「えっ!?」
頬を赤らめて、アンジェリークは焦るようにレイチェルを見た。
アリオスは心の底からレイチェルに感謝する。
いきなり、口説く機会が与えられたようなものだからだ。
彼は本当は笑いたかったが、それを何とか堪える。
「俺はかまわねえが、コレット、おまえはどうだ?」
「構いません…」
アリオスの顔がまともに見れなくて、彼女は俯いてしまった。
この後に甘美な罠が待ち受けていることを、彼女はまだ知らない----
TO BE CONTINUED
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コメント
3000番のキリ番を踏まれたゆら様のリクエストによる「保健室で眠っていたアンジェリークに一目惚れをしたアリオスが、彼女にアタックする」お話の前半「一目惚れ編」です。
長くなったので、思い切って二回に分けることにしました(最近こればっかり)
ゆら様、いかがでしょうか? 全く本題に入れず、ごめんなさいm(_)m
最初はもう少し短く設定してたんですが、書きたし書きたしで長くなってしまいました。
本編もなるべく早くお届けいたしますので宜しくお願いします。
ちなみにタイトルは、THE BEATLESの超有名曲「抱きしめたい」(邦題)からです。